俳優の大東駿介さんの生い立ちが
壮絶でやばすぎると話題になっています。
そんな大東駿介さんの生い立ちをまとめてみました。
ぜひ最後まで読んでいってください。
大東駿介の壮絶な生い立ち
大東駿介さんは大阪府堺市が出身。
そんな、普通にありふれた家族構成でしたが
大東さんが、8歳のときに両親が離婚。
父親が家を出ていきました。
当時、大東さんは両親の離婚を知らなかったようです。
もともと、タクシー運転手の父親とは
生活サイクルが違い会う機会がほとんどありませんでした。
離婚した後も父親は大東さんに誕生日プレゼントを渡して
くれていたようです。
よくよく考えたら誕生日にしか会わなかったんですよ。誕生日の時も家じゃなくて、お父さんのタクシーに呼ばれてタクシーの中でプレゼントをもらう。
引用元:Yahoo!ニュース
大東さんが両親の離婚を知ったのは
母親が井戸端会議で
「離婚した」というのが聞こえてきて
それで、知ったようです。
母子家庭になった大東さんですが
中学1年生頃から
母親が時々帰らなくなることが多くなってきました。
では、母親についてみてみましょう。
大東駿介の母親がネグレクトで蒸発
中学1年生のころから、母親が帰宅しないことが多く
大東さんは、クリーニング店のレジからお金をとり
空腹をしのいでいましたが
とうとう、母親が全く帰ってこず蒸発してしまいました。
2日帰ってこない、3日帰らない、1週間……と段々と家を空けるスパンが長くなり、遂には、いなくなってしまった。中学2年生の頃だった。
引用元:Yahoo!ニュース
中学2年生にして、一人暮らしを余儀なくされ
だんだんとお金も底をつき
駄菓子しか食べれない事も続いてきました。
ライフラインである
電気、水道、ガスも止められ
当時飼っていたウサギの糞まみれの部屋で生活していたようです。
部屋のライフラインは止まってしまい、飼っていたウサギのフンが散らかったままの部屋で寝ていたという。
引用元:ザテレビジョン
そんな生活の中精神的にも追い込まれ
鏡に向かって自分に暴言を吐いていました。
鏡に映ってる自分に向かって叫んでいたこともあり、大東は当時の心境を「世の中に怒りしかなかった」と振り返った。
引用元:ザテレビジョン
引きこもりになった
大東さんに手を差し伸べてくれたのが
お笑いコンビ「金属バット」で活躍している
小林圭輔さんです。
小学校の頃から親友だったお笑いコンビ「金属バット」の小林圭輔だったのだ。
引用元:Yahoo!ニュース
お2人は同じ学校の同級生で仲が良かったそうで
友人を連れて大東さんの自宅に押しかけてくれたようです。
引きこもって学校に行ってなかった時に、毎日「大東!」って呼びに来てくれるんですよ。ある日、それでも出なかったら、「ドン!」って音がして1階のドアぶち破って入ってきたんです。それで救われましたね。
引用元:Yahoo!ニュース
また、友人宅に招かれ、食事をご馳走にもなりました。
そんな友人に支えられ生活を乗り越えてきました。
1年後に叔母に引き取られ、わが子のように接してくれ
高校生活は楽しく過ごせたようです。
引き取られた叔母の家でわが子のように育てられたという大東
引用元:ザテレビジョン
実は、蒸発した母親から高校入学のタイミングで
一緒に暮らそうといわれてそうですが
大東さんは断り、その後母親がどこで何をしているのかも
わからないようです。
父親は大東さんが27歳頃
父親が見つかったと連絡があったようですが
捨てられたという思いが強く
意地を張り会わなかったそうです。
ただ、30歳を前に、父親に
「会ってもいいかな?」と思ったそうですが
すでに、父親は他界していました。
30歳になる手前くらいに「会ってもいいかな」という気持ちが生まれました。「なんでこんなに親父を拒否してたんだろう」って。
引用元:Yahoo!ニュース
父親に会えなかった大東さんですが
亡くなった後の方が父親像がはっきりしていると
言われています。
亡くなった後、今の方が父親像がはっきりしているんです。小学3年生くらいまでの父親の記憶は、といってもそんなに一緒にいなかったので、あまり記憶はないんですけど。亡くなってから『どんなおやじやったんやろう』って、人生を掘り返して知っていく作業の中で、どんどん父親像がはっきりしてくる。
引用元:Yahoo!ニュース
亡くなる前に会えなかったことは残念ですが
大東さんの心の中で父親は生きているように思います。
まとめ
大東さんの壮絶な生い立ちをまとめてみました。
周りの方に支えてもらい、これまでの人生を歩んでこられんですね。
最後まで読んでくださりありがとうございました。